ワイヤーダックスとダンボールハウス 505号室

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505号室

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先日、新幹線で帰郷。

6月27日、父が他界した・・・

その5日前の22日、毎週行っている検診で、「胃がん」との宣告を受けた。

父は、別の病で長年の闘病生活を送っていたため体が極端に痩せ細っていた。
主治医は 体力的に手術は耐えられないだろうと判断し、緩和ケアをすることになった。

緩和ケアとは、「患者の身体的・精神的苦痛を取り除く」事に重きを置いた医療。
つまり、積極的な延命治療を行わない・・・「末期」だった・・・。

これは、亡くなってから聞いたのだが、この時「余命3ヶ月から1年」と余命宣告され 父母は肩を落としたそうだ。

兄から電話があった。
「父ちゃんが元気なうちに 一度帰って来い」

私も、仕事の予定をやりくりして 「28日」に帰省できるよう段取りを組み、26日にようやく実家にその連絡をした。

どうしても28日午前のシフトが埋まらなかったからだ。

店長と言う責務がある以上、シフトに穴をあけた状態で帰省はできない。

この時点では余命の事を聞いていない私はそれほど深くも考えず、とりあえず28日午後に帰省し一泊して29日にまた東京に戻ってくるつもりだった。

しかし、帰省する前日の27日午後 容体が急変。

午前までは、たまたま帰省した親戚と軽口を叩いていたらしい。入院してからは病院食もすべて平らげ 自宅では食欲がなかったのがウソのようだった。

容態が変わったのは昼食後終えた午後1時、付き添っていた姪の前で 大量に吐血した。

27日午後1時半、母から電話
「お父さんが、血を吐いだ・・・! 今仕事が? 早く帰ってこれねが? 」

動揺しているのか 母も 落ち着きのない様子だったが、こちらも「わかった、なるべく早く帰る」という程度にしか返答できなかった。

私は、翌日の帰省のため溜まっていた事務を処理するために店にいた。
ともかく、私は当日と、翌日のシフトの調整をしてすぐに実家へ向かう事にきめた。
ただ、この時点ではまだ父が亡くなるという事に今一つ現実感がなく、多少もたついてしまったことは否めない。

今思えばメールやLINEで調整できるため とりあえず電車に飛び乗ってしまえばよかったかもしれないと悔やまれる。

調整に時間がかかってしまった・・・。
そして、やっと調整が整い電車に乗ったのも午後2時半近くになってしまっていた。

電車を待つも、こういう時に限ってなかなか次の電車が来ない。
心細い気持ちを抑えながら電車を待った

待ちに待った電車の中で母の言葉を反芻する。

「お父さんが、血を吐いだ・・・! 今仕事が? 早く帰ってこれねが?」

ダメかも・・・突然そんな事が頭をよぎったその時、母から電話が

「今どごだ? お父さん、あと2時間ぐらいだど・・・もう、来ても間に合わねがら・・・来ねくていいがら」
時間は3時4分・・・まだ電車は新宿のあたり。
医者の言う事だ、おそらく・・・間違いないだろう、

しかし、
もしかしたら もう少し頑張ってくれるかもしれない。待っていてくれるかもしれない。
「とにかく、死に目に会えないとしても そっちに行く努力はするよ」
「じゃぁ、お父さんさ こっちさ向がってっから もうちょっとだけ頑張れなーって言うがら・・・」

東京駅から新幹線で2時間強。
郷里では「東京が近くなった」などとは言っているが、一時間あたり一本しか出ていない電車。
気持ちばかり焦った。

私は、親の死に目に会えるとは思っていない。
だから、帰省の度に「今回が最後かもしれない」と思いながら別れてくる。

ただ、「亡くなった」と言う連絡を受けるのと、「死にそうだから早く帰ってこい」と言われるのでは・・・明らかに後者には望みがあった。

・・・父とお別れをしよう・・・!

東京駅で新幹線がホームに入線してくるとき、この電車に乗ればあと2時間で米沢に着くという思いから、涙があふれた。
「お父さん、、、もう少し、もう少し待ってられっかー」
心の中のつぶやきが 父に届くかどうか、わからなかった。

新幹線のホームで、会社の人にメールやLINEをたくさん送った
「父が吐血して、もう2時間程度しかもたないと言われました。今 実家に向かっています」
同僚からは励ましの言葉や 交代(シフト制の為)を申し出るラインなどをもらう。

心細さと、感謝の気持ちだった。
歳をとって、最近涙もろくはなったが ・・・自分でも不思議なくらいに涙があふれた。

午後4時ちょうど初の新幹線が東京駅を出発する。
車窓は都会の風景から 次第に田園地帯に、そしてトンネルに入る。
最近では新幹線に乗る機会が無くなったとはいえ、何度も見たこの車窓。近づいているのがわかる。

時計を見ると午後5時20分 すると兄から電話があった。

今日は母と兄、両方から交互に電話が来る、そういえば 数時間前 「迎えに行くか?」という電話があった。
その時 私は兄が死に目に立ち会えなくなっては申し訳ないと思い断った。

その事か?いや、そうであってほしい・・・と願いながら電話に出ると
「お父さん、死んだ・・・。5時5分だった。 枕もとで お前が帰ってくるから、こっちに向かっているから、もうちょっと待ってろって言ったんけどな・・・」


母から「あと2時間」と言われた その時間から、きっかり2時間だった。

新幹線の中で、声を押し殺して泣いた。



父には二つの誕生日がある。
父は、2月9日に生まれた。
戦前の話だ、建国記念の日の方が縁起が良いと2月11日に出生届けを提出したそうである。

父は絵が好きだった。
私も絵が好きだが、それは明らかに父の影響によるものだ。

父は高校を卒業して、絵の勉強をしたいと思っていた。美大に行きたいと思っていた。
しかし、家庭の事情からその願いを叶える事は出来なかった。

当時、祖父の代に興した衣料品店が成功し父や叔父(父の兄)が協力して店舗の運営にあたっていた。
その店は、私が子供の頃には繁盛をし、多店舗展開をするようにまでなっていた。
景気の良い時には 開店前からお客様が列を作って並んでいたそうだ。
また、その頃 社員全員を連れて海外に社員旅行などにも行っている。

しかし、バブルがはじけると 途端に形勢は変わった。父と叔父との間でも経営に関する事での衝突もたくさんあった。
父は、祖父のつくった店(会社)を離れることにした。

そして 父は、自分で会社を興すことにした。
その頃、成人した私も 実家に帰ることになり 「家族」としては充実していた時期かもしれない。

しかし、この仕事は結局成功せずに終わる。
幸いにも、この仕事は無借金で誰にも迷惑をかけずに きれいな幕引きができた。

時を同じくして、たまたま知人の伝手で福祉用品のメーカーに就職することができた。
営業開拓・その後のフォローなどで、今までに培った知識が役にたったらしい。
詳しいことはわからないが、営業成績は良かったらしく、給料は何十年と務めた祖父の店よりも良かったらしい。

そんな折、出張先で倒れ救急搬送。
一刻は「危ない状況」までいったが、なんとか一命を取り留め 入院生活が半年を超えたころ
その会社からも「これ以上会社としては責任を持てない」と退職の勧告をうけた。

仕方がない事だったと思う。
元々、強い酒が好きで 一日に飲む量を母から決められていたにもかかわらず 母の目を盗んでは飲み、へべれけになっていた人だ。肝臓にも強い負担がかかっていたのだろう。



それからの闘病生活は母との二人三脚だった。
父も頑張ったとは思うが、何より母が頑張ったと思う。

母は、いつも冗談を言う。
ただ、その冗談はいささか辛辣な言葉なので、聞く人によっては腹を立ててしまうかもしれない。

その母が、父を目の前にして こう言っているのを聞いた
「お父さん!、まちがっても『生まれ変わってもアタシと結婚したい』なんて言わねでなー(笑)」

私は耳を疑ったが、他の人から 事あるごとに母が父に言っていると聞き、仲が良いのか、本当に仲が悪いのか、よくわからなくなった。

母の事を姉のように慕う 私の従姉は 母の事を
「口は悪いけれど、言った分、言った以上に きっちりやるから誰も文句が言えない」
と評していた。

「お父さんは手がかかるから やんだ」
等と言いながら、父の世話を抜け目なくやり、父に何一つ不自由をかけることがなかった。

その従姉の息子が、その亡くなった日の午前に 父にこんな事を聞いた
「なー、おじちゃんは おばちゃんと結婚して良かったが?」
間髪入れずに こう言ったそうだ
「いがったー(良かった)」

この話を、父が亡くなった後に 聞いた母は ただただ「うん、うん」と頷いていた。

そういえば、父の幸せエピソードが一つ

出張先で、腹が減ったのでカップめんを買ったらしい。
カップめんを食べたことはあるが、作ったことはない父、
ふたを開けて 3分間待つことに。

すると横で見ていた知人が、
「あんたは 幸せだねー」
と言ったそうだ。

お湯を入れなくてはカップめんが食べれるはずもない。
そんな簡単な事すらもやったことがなく、むしろインスタント食品と言うものを私が子供のころは食べたころすらなかった。
父がカップラーメンを食べれなかったこともある意味無理もない。
そして、父は大きな意味で幸せだったのかもしれない。

父は何もできない人だった。仕事くらいしかできない人だった。
母は、文句こそいうが 何でもやる人だった。

そして、父は亡くなった。

父の遺影を選ぶとき、母が二枚の写真を持ってきた。
一枚は 「父と母」が写っている写真だが、父が少し横を向いている。
もう一枚は 父が生前に 遺影にしてくれと言っていた 「祖母と父の姉妹」と写っていた写真。

私は、父の遺言通り、後者の親兄妹と写っている方を遺影にするべきと主張した。
母は、父の遺影は祖母と写っているものを使う事で了承したが、同時に自分が死んだ時には 遺影は父と写っているものにしてほしいと言った。

父と母の間には色々な事はあっただろうが、母の中ではきっちり決着がついているのだなぁと感じた。



私にとっての父は、「後半生の父」の印象だ。
父は自宅兼店舗で働いていたため、父の仕事をしている姿はよく見ていた。しかし、その印象や思い出はあまりない。

仕事と家の事を わりあい区別している人だったように思う。
だから、家の中での父をあまり見ていない。
というより、家での父は飲んだくれている だらしのない人だったので、あまり記憶に残っていないのかもしれない。

ただ、父は子供には手を上げない人だった。
母には・・・一度だけ手を上げたことがある。後にも先にもその一回きりだが。

小学生のころは、年に1回だけ休みをとって行く海が楽しみだった。
商用車の荷室部分に布団を敷いて 子供たちはそこに寝て行った。
その時の朝焼けの赤は 未だに私の脳裏に焼き付いている。

夏休みの自由研究や、工作の宿題は、 はじめこそ私がやり始めるが、途中から父が手出しをはじめて、結果的には父が全部作ってしまっていた。
当時は今のように「パパと一緒に作る」という取り組み方ではなく、「最期まで自分1人でやりとげる」という課題だったため、私の工作は人並み以上に完成度が高かった(笑)

優しい男だったと思う。

私が4・5歳の頃
 「父に」 とおにぎりを握ったことがある。
子供が握るおにぎりなので、けっして美味しいはずがなかろうと思うが、
「幼子が自分のためにおにぎりを作ってくれた!」
と、父はその時涙しながら食べた。
父の記憶に残る 思い出の味だったそうだ。



父の亡骸は 本当に眠っているような安らかな表情だった。
父は口を開けて寝るクセがあったせいか、亡骸も口が半開きだった。
母は、死んでも生きている時と同じだなと、笑った。

棺桶に入れた時、故人の好きだったものとして 私達は迷いなくタバコを入れることにした。
「ハイライト」 かなりニコチン・タールの多いタバコだ。
多い時には二箱以上吸っていたそうである。
最近はその量は一日1・2本と減っていたそうだが、最後の最後までやめる事が出来なかった。

父は、幸せな人生であったと思う

父が入院したその日、入院中に必要な事や思いついたこと、書き留めておきたいこと 感じたことを書くためにノートを用意した。
その裏表紙にはこのように書いてあった。

「人生を楽しませてくれてありがとう」 

父が他界した
父が亡くなったのは午後5時5分
入院していた病室は505号室だった

入院生活の衣類は きちんと折り目正しく折られ、整理されていた。
父が、自分で肌着をキチンと折りたたんでいた。
父は、何もできない人ではあったが、誰にも迷惑をかけることなく、たくさんの人に見守られながら旅だった。

私が病院に到着したのは、父が逝った約1時間後のことだった
母は
「余命3ヶ月から1年と言われ、入院の費用をどう捻出しようかと心配していた」
「お父さんは、アタシ達に迷惑かけまいと早くいったのかもなー」
「お父さんが血を吐いた時、生きていると また長く苦しませ続けることになるから何もしなくて良いって言った。」
「お父さんは死ぬ前に自分の事ちゃんとやって、あたし達になんにも手がかけることがなかった。気を使ったんがなー」
母は 自分でも整理しきれない気持ちを 駆け付けた私に吐露した。

葬式は、家族葬であったが、たくさんの知人が集まってくれて もはや家族葬ではない盛大な葬儀だった。
父の交友関係の広さを物語った。

父は、良い人生を送り、その幕引きも実に潔く、美しかった。
父の祭壇には沢山の花が飾られた。

人はこうして死ぬものなのかと思った。

父の死は、確かに悲しいものであったが、それと共に清々しささえ感じる良い葬式だったように思う。

今、父は 天高く昇って私たちを見守っているのだろうか。
お父さん、ありがとう。
あなたの子で良かったです。

ありがとう
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趣味はアリンコの観察と地図鑑賞。ちょっぴりナイーブで腹黒な昭和生まれの男の子。

たまに鼻毛が出ています(爆)

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