ワイヤーダックスとダンボールハウス 15周年と 13周年と

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15周年と 13周年と

10月31日、母からメールが届きました。

「結婚15周年おめでとう。私も今日で店を閉店することにしました。」

2000年の秋、母が電話をしてきました。
「クリーニング屋を始めたいんだけど、どう思う?」




私の実家は、私が幼いころは地元ではそれなりに大きな衣料品店をやっていました。
この店は親族経営で、会長は祖父、社長は叔父(父の兄)、父は専務と言う肩書でした。

彼らが若いころは仕事もうまくいっていたそうです。
経済成長期に その当時にしては斬新な経営をして業績は良かったようです。

そのため給与面もそこそこ良かったこともあり、父は20代で家を建てました。その当時としてはだいぶ立派な家を建てたと本人は言っています。さぞや自慢だったのかと思います。

そんな中、 「もう1店舗出店したいのでそっちに住んでくれ」と言われ、せっかく建てた家に数年と住まずに人に貸し与えることにし、自分たちは中古の家を改築した「店舗兼住宅(社宅扱い)」に住むことになりました。

その後も業績は良かったようです。
店はほぼ年中無休と言った感じで休みもほとんど取っていなかったように思います。親族経営だから仕方がないとはいえ、やはり体力的にはかなり厳しかったのでは?と思います。

このため私は親と旅行に行った思い出があまりありません。そう思うと、だからこそ 今の私は 休日ともなるとどこかへ行きたいという欲求が強いのかも。

むしろこの当時の私の楽しみと言えば外食することで、時々連れて行ってもらえる回転寿司は もともと酢が苦手なのにものすごく楽しみにしていた記憶がありますし、その影響で今も外食大好き人間なのです。

その頃から少しずつ 父と叔父の間では意見に食い違いが出るようになっていました。

それはおそらく、お互いに家族を持ったことによる利権や価値観の違いでした。
そして、それは 叔父が祖父から財産の生前贈与を受けてからますます力を強め
「文句があるのなら 今すぐ家から出ていけ」
と言われ、母が泣いたり、愚痴ったりしていたのを覚えています。

そもそも、家(店舗兼住宅)を出たところで 父が建てた家は人に貸しており 私達には行くあてもなかったのですからこの言葉は嫌がらせ以外の何物でもありませんでした。

そんな状況ですから、多感な小学生のころに親にいろいろな会話をした思い出があまりなく、友達やその親御さんからすれば「立派な家」のように言われることもありましたが、私にとって「店」というものは決して「誇るべきもの」ではなくなっていたのです。


母はいつも
「お父さん、もう こんな会社で働くのはやんだぁ(嫌だ)。辞めんべぇ。自分たちで仕事をしたほうがナンボもマシだ。」
「あんた(父)は、家族だから我慢できるだろうけど、アタシは他人だから我慢が出来ない。辞めないのなら私はやめるから あんただけでやってくれ」
と口癖のように父に言っていたのを覚えています。

数年後、中古の家を購入(本当に狭くて薄汚い家でした。結局ここには住まずに、ここも他人に転売しました)しました。叔父からの嫌味対策で買ったこの中古住宅のおかげかどうかはわかりませんが、それ以後叔父の「罵詈雑言」は減ったそうです。

しかし、今後は叔父の息子(私からすれば従弟)が経営に参画してきたことにより、またもや関係性はこじれたものになっていきました。
そんな叔父からの圧力に10年以上も耐え続け、今度は家を新しく建て、私が専門学校を卒業するまでは我慢してくれました。

そして、私が就職した翌年に 会社を辞め、自分達で新しく仕事をはじめる事を決意。

もともと会社を辞めて店を始めることを前提として家を新築したため、駐車場は広めにとってありました。
家を改築する事も考えたようですが、内装をちょっと手直しして新規オープン。

時を同じくして 親からの勧めもあり地元に戻ることになった私。
その頃が、もしかすると一番家族として話をしたり 言うなれば一番家族らしい時間を送ったのかもしれません。

その後2年程度は 自分が立ち上げた衣料品店を営んでいたのですが、突然ある時に父が、「○○という会社に入る」と言い出しました。

今考えると、今やっている仕事の先行きが見えていたのかもしれません。(叔父の店も数年前に廃業しましたし・・・)自分がまだ力(体力・気力)があるうちに転職(就職)をしてしまいます。

本人曰く、飛び込み営業もそれまでにやっていた仕事で培っているし、商品に対する知識も高かった。商売に対する戦略もあったので ノルマは毎月達成していて、悩みは営業報告をするためのパソコンがまったく使えなかったことくらい。

インセンティブも多かったようです。割合 暮らしぶりは裕福だったように感じます。

その後、兄も私も結婚します。

その結婚した翌年、父は出張先の秋田のホテルで倒れました。
数か月に及ぶ入院生活のうちに、会社からは解雇されてしまう事になりましたが、もともとの健康管理上の問題なので仕方がないのかもしれません。

そしてその翌年の秋、母からの電話がかかってきたのです
「クリーニング屋を始めたいんだけど、どう思う?」

「なんで?」ってか 「やりたいの??」「2000年問題だ」
やりたいと言って聞かぬ母 初めは私は 儲かりもしないだろうと反対したのですが、母なりに家計の事などを考えてのことだったのだろうと思います。

その後 私は前の会社を辞めて、今の仕事に就くことになります。

いつかのエントリーに、母が「食品店をやりたい」と言っていた夢(クリーニング屋をやっていたりして矛盾を感じるが)を なんとなく自分の中で育んでいたのかもしれません。

それから13年、たまに店を見ていても 儲かっているようには見えませんでしたが、それなりに遣り甲斐を与えてくれた店は、母にはなくてならないものだったのかもしれません。

今こうして、大人になって これまでの家族の歴史を思う時 父の 母の、こういった努力・忍耐が私たち兄弟を、そしてそれぞれの家族を育ててくれたのだと 改めて感じます。

短い言葉で、母へこの言葉を送りました。
「13年間おつかれさまでした。育ててくれてありがとう」
昨日 ちょっとしたお祝いを贈りました。

これからも続く人生で、父・母が 元気に、そしてこれからの人生をより楽しく健康に過ごしてくれることを願ってやみません。
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