ワイヤーダックスとダンボールハウス めんだんめんだんだめだ

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めんだんめんだんだめだ

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今回の面談まとめ。

面談の目的については人それぞれ考え方があります。
無論、会社側は「褒めて伸ばす」ことを目的としているように感じますが、実際に褒めるべき時、指摘するべき時、というのはあり、常に褒めれば良い訳ではない。

たまたま、このブログの検索ワードに「はいわかりました」というのが1週間に一回程度で検索されているようです。

これは、以前にこの内容でエントリーしたからなのです。(同ブログ:はい!わかりました!ダメ論)へリンク

当然、この検索ワードについて かなり自分の考えに基づくところが多いので本当に正しいのかどうかは疑問がありますが、興味の対象となるキーワードである事は間違いなさそうです。

それで、私も「はい、わかりました」について検索をしてみました。
すると、知恵袋にこんな事が載っていました。

はい。はい。言い過ぎ!
はい。わかりました。と言え!と花屋の店長に言われました。

説明を聞き、はいっ。はいっ。と気持ちよく返事するのって、ダメなことですか?

言い訳をするなっ!
話を聞くときは人の目を見て聞け!
といきなり注意を受けました。
はい、はいと気持ちよく答えてるだけで、言い訳なんてした覚えはないし、
目を人を見下したような上から目線で話す店長こそ、人としていかがなものかと思います。

人のダメな所をつついてくる、ある意味天性な店長らしく、Mの人じゃないと続かないらしいです。
モラハラの気質がありそうな店長です。

誉められて伸びる人間だと自分で思っているので、この店長のしたで長く働くのは難しいかな‥と感じています。

職してすぐに辞めた事の方は、どんな理由で辞めて、どうなふうに辞めると告げたのか教えてください!

人間関係がめんどくさそうな職場で私は続きそうにないです。

それと、店長に納得いかない注意の仕方をされた場合、反抗してもいいんでしょうか?
反抗された方いますか?

補足
はいはいと二回続けて答えているわけではありません。

言われたことを聞いている相槌として、はいと答えているだけです。

その『はい』が多いと店長は言いたいのでしょう。

そんなの、いちゃもんつけもいいところです。

誉めて伸びる人と、けなされて、負けるものか!と伸びる人を見極めるのも店長として必要な能力ではないでしょうか。

人の上に立つということがどういうことなのか認識すべきです。



上記に対し、回答として寄せられたのが
補足について。
貴方が人の上に立てば、あなたの問題は解決します。
人を批判するなら、あなたには出来て当たり前ですよね。
それとも出来ないのに、わめき散らしているのですか?
それでは、誰もあなたの味方や協力してくれる人はいませんよ。

今、あなたの考え方を改めないと、不幸が連続して訪れるかも知れません。
なぜなら、部下の言いなりになって、給料を払う人なんてどこにもいません。
また、今は人あまり現象で、貴方より、もっといい人材はたくさんいると、ほとんどの社長は思っています。
これからも、大きな損をしたければ、今の考えを続けることです。


結果、この回答者に対しての質問者の返答は以下の通り。
向いていないと認識しているので私は人の上には立ちません。
人の人格を平気で傷つける人は嫌いです。
仕事のミスを的確に注意する事は正しいあり方ですが、それに感情を織り交ぜ『馬鹿といたら馬鹿が移る』等という必要はありません。(私が言われたのではなく他のスタッフです)馬鹿なスタッフのままなのは店長の教え方が下手な結果。私に不幸が訪れると言い放つ貴方もどうかな。私が不幸か幸せかは私が決める事ですから。



「はい、わかりました」という言葉については、人によって様々な受け止め方があります。
この言葉を「良い」と思うか「悪い」「わかっていない」と思うか。人によって受け止め方は様々。

これは、私が「上司」とか「先輩」という 「一段上」の立場から思う事ですが、まず、根本的に言いたい事としては 私の言う「はい!わかりました!」は「生返事的な絶対にするな」という事。

要するに、生返事であれば「はい」でも「はい、わかりました」でも、「はい、かしこまりました」でもダメということ。
それが新人ならなおさら「まだ知らないはず。わからないはず。なのにどうしてわかると断言できるんだ?」という気持ちで見ています。

自分の言葉に変換して「こういう事で間違いありませんか?」と確認するくらいがちょうどいいようなきがします。
勿論、これに対しても受け止め方は様々で「いちいち確認するな」という人だっているはずです。

ところで、私のチェーンでは「お客様のオーダーについては“はい”と受ける。“オーダーの復唱をしない”」というルールがあります。
これは、生返事的に「はい」と言えというのではありません。

一流のホテルでは お客様のオーダーや要望を聞き返しません。聞き洩らさないようにしているのです。

例えば、前日にお客さまが「新聞欲しいんだけど。日経ある?」とフロントで聞いたとします。
翌日、同じようにお客様がフロントに来たら「新聞でございますね。日本経済新聞をご用意しています。」

というのが、優れたサービスと言う事になります。

実際にこういう事ができるか?どうか?は別です。あくまで目指すサービスはこうだと言う事。


では、店長が言った事には「はい」だけが正しいのか?「復唱する」のはまずいのではないか?

これについては、私はこのように考えます。

実際に今現在もそうなんですが、ランクの高い人に何かを指示した時、その人は「できて当然」と思っているので、復唱する必要性をまったく感じません。やって当然だからです。意味をキチンと理解していなくてはおかしいんです。

一方、ランクの低い人や新人。この人たちはそもそも理解度に疑問があります。
だから「はい」という返事だけでは、その人が「理解したいのか?」が判別できません。

まして「はい、わかりました」は、理解していない可能性の高い人が「わかりました」とはおかしな発言だなと思ってしまうのです。




さて、上記の線で囲んだ知恵袋の件。これをなぜ あえて引用したのか?

これ、私にも当てはまるからです。
若干、話しの方向性が変ります。

私からアルバイトへの要求はいくつかあります。
・シフト貢献度
・スキルアップ
・意識改革

これが、今回に限らず毎回アルバイトに要求している内容です。人によってこの3つのバランスが違うだけで、この事を軸に面談を進めます。

すると、アルバイトからは大抵このような返答が返ってきます。

「私たちは大学生です。大学生であると言う事は学業が本分。したがってこれ以上は店長からの過剰な要求。」

「そもそも、意識は店長自身が変えるべき。人格否定ではないか。」

「スキルアップは自分自身もしたい。しかし、店長が高圧的だから緊張してそのポテンシャルを発揮できない。」



これについては、店長として求めるべき行動であり、それがお互いに理解しなくても、今後も要求していかなくてはならない。店長と言う立場はそういう立場だと思います。

これらを分解して考えます。

学業が本分

そんなの知ってます。
私は会社員でありそういう意味では私の本分はココにあります。

ただ、学生が学業が本分だと言ってしまえば、主婦の方は主婦が本業だと言う。

本業を主張するのであれば極論、学生は「学校“だけ”に行っていれば良いじゃん。」主婦は「家にいろ」となる。

しかし、学生なりに「お小遣い」が欲しいからアルバイトをしなくてはならない。でも、所詮「小遣い」の範疇。

では、主婦の方はどういう意識でやっているのかといえば、勿論「家計の足し」にしたいと考える方もいますが、むしろそういう方は少ないような気がします。
本当に金銭面で ある程度まとまったお金を稼ぎたいのであれば、「非常勤社員」などのような労働時間があるていど決まっている雇入れ体制のほうが有利です。

主婦の方には、お子さんが小さくて「社員で働く事はリスキーだからアルバイトに」と言う方も少なくありません。

しかし、私の知っている主婦の方は、大半がそれほど逼迫した経済事情ではなく そのほとんどが「自分の小遣いメインで後はほんの少し家計の足しにする」と言う考えのよう。

主婦の方は、シフトインできるできない以前に、「人として人の痛みを感じてくれている」のがわかります。
とても責任感を持って仕事をしてくれます。
だから、人が少なければ「主婦業があるから帰る」なんて言いません。

強制しているのでは?と思うだろうけど、本当に人としての優しさなんです。「店長だけでは大変ですよね。この時間入りますよ」と言ってもらえます。泣きたいほど嬉しい。

それを学生に求めるのは「間違い」ですか?


私は アルバイトを通じて「社会性」を身につけてほしいと思っています。それは社会に出た時に 今のままでは苦労するだろう事が目に見えているから。

大学は学生に、「君たちの本分は学業だ。アルバイトにうつつを抜かして・・・」という学校(教授)も少なくないそうだ。

確かにそうだ。
だったら、あなた方がキチンとした社会性を身につけさせてあげれば良い。

ボランティア活動(授業)ではなく、本質的なビジネスを。
教わるのではなく、自分自身で学ぶ心を。

以前 私の先輩店長が言っていた。
「オレはこの仕事に誇りを持っている。社会に出た時にこのカフェの子は相対的に使える奴が多い。と言われたい。言わせたい。だから社会性は とことん教えていく。社会に出てすぐには気がつかなくても、5年後・10年後に気がついてくれれば、それで良い。」

以前、ある報道番組でコメンテーターが「東大出の馬鹿」という言葉を連呼していて驚いた事がある。

「勉強が出来て」も、「仕事が出来る」とは限らない。
むしろ、勉強ばかりして 友達との関わりあいが少なかった彼等は、人間関係が苦手な子が多いと聞いた事がある。

今の子たちは「ポジティブシンキング」な子が多い。
だから失敗するイメージを持たない。

それは発想の仕方としては決して間違ってはいないのだけど、私の考えとはかなり違っている。

ある会社のトップは 一つの事案に対して、100通りの結末(失敗事例)を考えると言う。
もしかすると、人はネガティブシンキングというかもしれないが、「石橋をたたいて渡る」と言う事だ。
私は どちらかと言うと、そういうタイプだと思う。

太平洋戦争は日本軍の無計画(勝つことしか想定しない戦略)により戦局は泥沼化したと言われる。
ミッドウェイ海戦がその良い例だ。

船には爆弾の他に、上陸戦をしミッドウェイ島を占領した際に使うつもりだった酒樽が所狭しと置いてあったそうだ。


少し話しが反れてしまったが、

「今、東京にいたとしよう。目的地は名古屋。明日の12時までに到着しなければならない。」

こういう時に、私の知る限り 学生の発想は 「東名高速で名古屋に行きます。半日もあればつくと思います。」程度の事しか考えない。


経路として既存の海沿いの東名を通るか?第二東名を通るか?
渋滞したらどうするか?
途中で運転中に眠くなったらどうするか?
事故や悪天候で全面通行止めになったら?

いろいろな情報を分析し、リスクを考えない子が多い。

「失敗を恐れない」ポジティブに聞こえるこの言葉。

しかし、実際に失敗をしてしまうと立ち直れない人が多い。
そう、「失敗してもまたチャンスがある」とは言え、失敗をすると次にチャンスが回ってくるのにも時間がかかる。やはり失敗は怖いではないか。

積極的に失敗をすることではなく、万が一の場合を想定し、失敗をした際の切り抜け方をあらかじめ考えておく事。そうする事によって生きてくる言葉だと思う。もしくは、失敗から何かを学ぶ事によって この言葉の持つ本来の意味が活きてくる。

そう言う事は、学校で学べる事ではないと思う。

こう言ったら「店長は学校には行く意味がないと言うが、学校に行く事によって人間性が深まるんだ」と反論された。


それはそれで、確かにそうだ。

この言葉も、また危険な言葉だが、「現在の大学は 就職予備校化している」と言われている。
就職するための知識と、就職してから役に立つ知識を教えている。

ただ、就職してみて、自分が思ったのは やる仕事に関して、そのほとんどが「人対人」であって、習った学問が根本的に役立っていない物も多い。
「役に立たないから大学が不要である」と言いたい訳ではない。
勿論、学問を通じて学ぶ事の大切さや、考えをまとめるプロセス、など学ぶことは重要だと思う。

少なくとも、学べる環境にあるのなら学べばいい。

私が言いたい事は、学生と社会人の間には、考え方や発想の仕方、メンタルなど、明らかに大きな違いがある。これは、仲間ではない第三者、つまり他人との関わりをどれだけたくさん持ってきたかの経験値の違いだと思う。

社会性を身につける場として、素晴らしい場だと思う。それをただの小遣い稼ぎの場程度にしか感じられないのであれば 悲しすぎるなと思う。

前述の先輩の話ではないが、そう言う事を、5年後10年後に、今私が言っている事が分かってもらえれば嬉しい。


人格を否定するような言動や高圧的な態度

ハラスメントという言葉が社会に定着して久しい。相手が「嫌だな」と思えば、大抵の事が「ハラスメント」になりかねないのが今の現状。

性的な内容の冗談を言えば「セクシャルハラスメント」だと言われる。高圧的に言えば 「モラルハラスメント」だとか「パワーハラスメント」だと言われてしまう。

結果的に、それは受けて側が自分の事を「好意」があるか「敵意」を抱いているかだと思う。

自分が好きな人から、「今日は化粧の仕方がバッチリだね」と言われれば「ありがとう」と言いたくなるが、好きではない、むしろ嫌いな人から言われると「気持ち悪い」と思ってしまう。

根本的に、私自身はいろいろな権利を有する立場にある。
権利と言うのは、シフトに対する権利である。

あまり意識した事がないかもしれないが、シフトを決定しているのは私である。では、シフトとは?
仕事をしてもらう時間であると同時に、お金の支払いについて約束をするものでもあると思います。

シフトに入れてもらえないという事は、せっかくアルバイトとして契約をしているのに「お金をもらえない」事です。それを決定しているのが私。

だから、媚びろと言っているのではない。そういう権利を有しているからこそ、悪用しないようにしている。

「権利を悪用しないようにしているのに、人格否定をするとは お前はうっかり発言が多いのか?」
と言われそうだが、それも違う。

大抵 何かメールなり、文章を書くなり、発言するなり、そういう時はできるだけ時間をかけて自分の気持ちを落ちつけてから言うなり、書くなりするようにしている。
感情をぶつける事は自分のフラストレーションをぶつけている事に他ならない。

確かに、腹が立つ事は多い。しかし時間をあえて今ではなく、自分に冷却期間を置いている。
では、なぜ文章が悪辣になるのか。

人によって受け捉え方は様々だが、大抵の人は これは経験的な物なのだが、100の事を言っても、言いたい事や伝えたい事の半分も伝わっていない。

中には怯えてメールを返信する子もいるかもしれない。そして、メールの内容と実際に仕事をしている時の私とのギャップに「こいつ二重人格じゃね?」と思うかもしれない。

また、「そんな言われ方をしなくてもわかる!」と言うが、「じゃぁやってみろ。」と言うと出来ない。

考えるように仕向ければいい。
だから質問を投げかけるようにした方が良いとも良く聞くが、その方法は結果に結び付くまでにとても時間がかかる。

時間がかかる事はなぜいけないのか?

それは、今、目の前にお客様がいて、それがベテランでも新人でも、同じようなサービスが出来ないといけないからである。

「怒る」と「叱る」は違う。
しかし、経験的に 継続的に叱っていると、どこかで糸が途切れたように「何も言わなくなる」時期が来る。
「さじを投げた」状態だ。こうなると根本的にその人に興味がなくなる。無関心になる。
だから、どんな間違いを犯しても何とも思わなくなる。

これは、私の考えでは「怒るのは相手の成長を期待しない場合」「叱るのは相手の成長を願う場合」だ。

「なんでこんな事も出来ないんだ!!」

こう言うと、「怒られた」「怒鳴られた」となる。違う。

お客様のために、即効性のある方法が求められる。
例えそれが「怯え」が出発点でも、その事によって形だけでも出来るようになれば良いのである。それでお客さんが支払った代金に見合ったサービスを受けられるのであれば。

今回の「人格否定」について、自分なりにたくさん考えた。そして思ったのは、
「楽しい気持ちで仕事がしたい」という 心の甘えではないか?
「みんな仲良く」という 妄想。
結局、仕事と言う意識の欠如ではないか。

要するに、この話、ベクトルが内向きですよね?って事。

私たち社員の仕事は、できるスタッフを短期間で作り上げる事。ようするに「デキるスタッフの促成栽培」だ。意味の理解は後回しで良い。

大学生は頭が良い。賢い。
だからこそ 理解を深めるために
「これ、お客様はどう思っていると思う?じゃぁ、どうやれば良いと思う?自分ならどうされたい?」
こういう聞き方の方が、学生が理解しやすいのはわかっている。
しかし、お客様からすると、理由が分かっているか否かはどうでもよく、額面通りのサービスが提供されれば文句は言わない。

むしろ、問題なのは頭が良いだけに「模範解答の先回り」をすることだ。

よく、「笑顔の接客をするべきだ」と言う人がいるが、実際にやれていない。
誰だって頭では理解している。いや、こういう答えが正しいと知っているので、答えを先回りしているのではないか?と思う。

飲食店やサービス業などは大抵求めるべきサービスは一貫している。
マニュアル本を見れば誰でも言えるのである。
実際に、時間がある時にそれを学生に問いかけると、大抵模範解答をする。実際には出来ないのに。


アルバイトを始めてする学生に、自分は大学生のつもりだろうが、私たちはまったくの未経験、子供のように接する。

そう、子供なのだ。
中にはこの例が当てはまらない人もいると思うが、

君が子供の頃、君のお母さんは 君に厳しくなかったか?一度も手を上げられた事はないか?
きっと、そうではないと思う。子供の頃はきっと厳しかったはずだ。

それが、中学くらいに上がると言われる事もだいぶ減ったはずだ。時には「勉強しないと高校に入れないぞ」と言われた事もあるかもしれないが、物事の分別の度合いに合わせて語りかけてくる。

そして大人になった今、君のやりたい事を応援する立場になっているはずだ。

そう、私たちの仕事は親の小言と一緒だ。

もう一つ例をあげよう。
今、真っ暗やみの中に君が立っている。
突然天の声が聞こえる。

「東へ行け」と。

しかし、真っ暗やみの中 今自分がどちらを向いて立っているのかわからない。
仕方がないので、自分が思った方向に歩きだす。

すると突然叩かれる。「その方向ではない。間違っている。そんな事もわからないのか」と。

仕方がないので、方向を変えて歩いてみる、すると今度は何も言わない。

しばらくすると、自分自身で何も言われない事に疑問が生じる。もう少し右寄りの方向が東なのではないか?と。
そこで、思った方向に歩きだすと、途端にまた叩かれる。「違う」と。

そうか、どうやらこの方向らしい。と確証が生まれる。
そうすると、声が聞こえ始める「そうそう。その調子!」応援の声だ。

その声に後押しされて、真っ暗闇だけれど歩みは早くなり、気がつけば走り出していた。


これが、私の思う教育だ。

何も教えていないじゃないか?という人もいるが、自分が「やる」と決めたのであれば、自分で調べるはずだ。それ自体も新しい発見が常に潜んでいる。


当然、自分が何かをする時に、ゼロから全てを生み出す事は出来ない。
そんな中、自分の中の指針となる本がある。

曽野 綾子著 「なぜ子供のままの 大人が増えたのか」

この本の見出しを見るだけでも面白い。

・子供に嫌がる事を一切させないとどうなるか
・奉仕活動、した事のない人ほど反対する
・子供に迎合する社会
・教育は強制から始まる

今の社会は、大人が子供に嫌われないようにしてつけあがらせてしまったと言える。これは子供が悪いのではない。大人が悪い。

しかし、そういう大人が作った教育制度の中で大事にされてきた子供たちも、別の大人たちの大人の社会に突然放り出される。

その時 君たちは?

人格否定はやめてください!
そう言うのだろうか?

言っても良いが、きっと結果は「ああ、めんどくせえ奴が入ってきたな。関わらないようにしよう。」だよ。

権利を主張する前に義務を果たせ

これが答えのような気がする。

言いたい事はわかる。しかし、そんなに甘くないよ。社会って。


私も前の会社の社長が パワーハラスメントを平気でやる社長だった。
しかし、本人に言わせれば 
「オレはそれだけ本気なんだ。お前らは本気じゃない。オレはそんな甘い世界で仕事をしていない。会社がいつまでもあると思うな。」

大嫌いだった。しかし、この人に仕事をたくさん教えてもらった。
結果的には、それでも良かったと思う。



私の尊敬する人はただ一人。
それは前の会社の部長。一緒に銭湯にいく仲だった。

この人からも色々教わった。
チームとしてまとめる事。仕事の取り組み方、物事の裏表の見極め方。尊敬してついていこうと心から思った。

現在の私は、彼になんら追いついていない。追いつきたい。

仕事の事だけでなく、色々な相談をできる上司。しかし、私自身が学生の理解に合わせるのもおかしいと思う。

物事は、ボトムが上がっていって全体のレベルが高くなっていく事が望ましい。
新人が入れば当然ボトムは下がる。しかし、その下がったボトムに基準を合わせるのはおかしい。

彼らがスキルやメンタルがアップしてくれる事を望む。
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